らくだの涙

らくだの涙というドキュメンタリーを見た。

個人的にとても好きな流れの作品だった。

内容はゴビ砂漠に住む遊牧民の家族と家族が遊牧しているらくだが主人公。
初めて出産するらくだは難産で子どもを産むのに苦労する。その結果子どもを
受け入れなくなってしまった。

どうすれば、お母さんらくだが子どもを受け入れるようになるのか。
悩んだ末、家族は伝統的な儀式をすることを決断する。はたして母親のらくだは
子どもを育てるようになるのだろうか。
 
とても簡単なシナリオに見えるがスタッフがこの家族を見つけることに
とても苦労したに違いないと関心させられた。

遊牧民も現代化する社会の中で生活習慣や価値観の変化は著しい。しかし監督が
選んだ家族は4世代にわたる家族で、祖父、祖母の教えを引き継いでいる。
こういった人選ができるには十分の調査が必要だったのではないだろうか。

そして一番すごいと思ったことは、作品にナレーション・BGMがないこと。
現場の空気を大切に音をつけて演出していた。映像である出来事やメッセージを
伝えることは想像以上に難しいと最近は思う。

そういえばインタビューもなかった。にも関わらず多くの人が作者の伝えたい内容
が伝わるということはすばらしい。とりやすい映像を撮って、それを切り貼りした
後にナレーションでカバー。それをなんとなく雰囲気を出すために音楽をつける。
自分だったらこうなってしまう…

映像で伝えること。それを考えるとてもよい作品だった。

 

[ゆり動かされては眠れない]


生活の柄(がら)  作詞:山之口漠 作曲:高田渡

歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで

草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです

歩き疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです

このごろは 眠れない おかをひいては 眠れない

夜空の下では 眠れない ゆり起こされては 眠れない

歩き 疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです

そんな僕の 生活の柄が 夏向きなのでしょうか

寝たかと思うと 寝たかと思うと またも冷気に からかわれて

秋は 秋は 浮浪者のままでは 眠れない 秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない

歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで
 
草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです

第21回日韓学生フォーラムの記憶と想い

 
 前回のブログでも少し触れたが、もうすぐ22回日韓学生フォーラムが韓国で開催される。22回は21回の時に一緒に活動した韓国メンバーの中から選ばれた3人の新たな実行委員が中心となり、韓国開催を行う。韓国へ留学したことで、彼らのことをより知ることができ、今回のフォーラムは素晴らしいフォーラムになるに違いないと確信している。

 ここでずいぶん前から宿題だった日本開催に当たって自分がどのようにフォーラムを創っていったかを再考したい。フォーラムが終わった後すぐ、実行委員長から23回の日本開催に向けてどのような準備と心がけが必要なのか、21回の記録を残すと共に経験を伝えるための資料を作ってほしいと頼まれていた。留学の準備と大学生活の追われて今になってしまったことを申し訳なく思っている。この資料の目的は、学生会議という学術的にも人間的にも未熟者同士が集まり、一から日韓関係を考えるためには、どういった準備、計画、開催が必要であったかをまとめることにある。同時に、これは自分の記録でもある。この経験が自分の大きな財産になっていることは間違いない。大したことは書けないが、今後フォーラムを支えていく実行委員の方々にとって少しでも参考になればと願う。

まず、自分が学術担当としてもっとも大切にしてきたものを順に並べてみようと思う。

 1.素直な問題意識を持ち、OCミートで悩み葛藤すること
 2.1の問題意識がそのままフォーラムのテーマとなる可能性大
 3.人間主義と現地主義を徹底
 4.テーマ、勉強会、本会議に一貫性を求める
  (皆で活動する意義、フォーラムの成果とは)
 5.挑戦と諦めないことを肝に銘ずること
 6.[終了後]欠点と問題点をメンバーと共有

 一旦、上に上げたことを中心に話を進めていこうと思う。前もって言っておけば、この他にもっとも大切と思われる財務、渉外、広報などの仕事がある。私自身これらの仕事に直接関わらなかったので的確なことが言えない。しかし、当然これらの仕事内容を十分理解し、学生活動、費用、社会的意義などの葛藤を実行委員と確認し合いながらプログラムの実現性を現実的に考える必要がある。



 

 

第22回日韓学生フォーラム

 来月8月上旬に日韓学生フォーラムが開催される。今年は韓国開催だ。1986年に日米学生会議の有志によって創設された日韓学生フォーラムは国際学生会議団体の中では、歴史を持っている団体だ。これまで行われてきたフォーラムは、その時、その時の両国における時代背景が反映されている。
 去年、私が実行委員を務めたときは、独島(竹島)問題、靖国神社参拝などが日韓友情年をぶち壊した。日韓友情年は2002年日韓共催ワールドカップの盛り上がりを維持させようと試みた取り組みだった。つい最近までドイツで行われていたワールドカップでは、韓国に留学しているせいもあり、日本国内ではどのような応援がされていたのか詳しく知ることはできないが、韓国国内では日韓共催のような互いにアジア代表として応援し合うといった光景はめっきり減ってしまったようだった。
 小泉首相になってから「言うべきことは言う」という強行外交は、不景気や中国の経済影響力の台頭・アジアからの反日デモなど、不安を抱えた国民にとって自信を取り返す姿かのように見えたのだろう。それが戦後、清算(せいさん)するべき軍国主義時代の日本を、正当化する潜在的感情が再生産(さいせいさん)されることに繋がってしまったのではないだろうか。
 「今年のフォーラムは、日韓間だけではなく、北朝鮮、中国も含めた東北アジアに焦点を当てて議論をしたい。」(日本側実行委員の話)聞けば日韓における対立を見ていてもキリがないのだという。北朝鮮から発射されたミサイルに完璧に乗せられた日本外交の姿勢は、韓国や中国にとって新たな脅威となっていることは間違いない。北朝鮮のミサイル発射に対する批判は、日本の軍事化へ直接結びつく恐れがあるからではないだろうか。北朝鮮のミサイル、日本の過去正当化と強行外交、韓国の反日感情とこのことによるナショナリスティックな動きなど、ここでまたキリのない話がスタートする。東北アジアに議論の範囲を広げることでこのキリのない対立を互いに解決する道を探ってほしい。ここで「互い」と書いたが、互いとは、まず自分を見つめることである。日本は自ら自分を見つめ、相手のために自分を清算する勇気が必要なのである。そうして初めて「お互い」の話ができるのではないだろうか。
 去年のフォーラムではこういった趣旨のもと皆とがんばって日本開催を成し遂げた。今年のフォーラムにぜひ生かしてもらいたい。

韓国のテ〜ハミング!!

 6月19日の韓国対フランス、韓国はトーゴ戦の一勝に加え更に有利にリーグ戦を運営するためには、フランスに最低引き分けの結果が必要だった。そして結果は1−1の同点!韓国の応援に参加していた私は光化門でのすさまじいまでのテ〜ハミング合唱を始めて体験した。
 試合は前半始まってすぐアンリがオフサイドぎりぎりのラインを抜け出し安定したゴールを入れ先制点をものにした。それから後半の終盤までフランスは追加点にまでは至らなかったが、ほぼ完璧なディフェンスで韓国は効果的なシュートまで試合を運ぶことができなかった。しかし試合終了間際の残り10分で泥臭くパク・チソンがゴールをもぎ取った。チャンスをつくれなかった韓国チームが執念でものにした劇的なゴールだった。全力で最後まで諦めないひたむきなサッカーを見せてくれた。
 私はこういった素晴らしいプレーを見せてくれる韓国代表チームのプレーをここで強調したいのではなく、雅に国家を上げて応援する韓国について少し疑問を感じずにはいられなかったのである。日本にもある「がんばれ日本」の応援にまず目を向ける必要があることは重々理解した上で、韓国の応援文化について少し話をしたいと思う。
 韓国では現在WC熱でニュース、CM、広告、企業、すべてがサッカー一色である。サッカー選手の勝利がまるで国家の勝利、そして国民の勝利であるかのような宣伝や発言が耳につく。韓国の友人が「日本はだめだねー」と言われることも多い今大会だが、私は意地悪く自分なりの試合分析をこまかく答えることにしている。それは日本が負けたからといって私が負けたわけではないし、サッカーの大好きな私は、サッカーそのものを見ることが好きだ。日本という国家が負けたというような発想には到底いたらない。(国家が負けたとしても興味はないが)逆に韓国の友人にはおめでとうと、一言かけるがそれも何かおかしい。彼らが応援しているチームが勝ったことはうれしいが、彼らがそれによって誇れるものはなにもないからだ。友人の質問がサッカーの試合そのものを見て発言しているならなんら問題はない、しかし私が意地悪く詳しい分析の内容を発言すると、そんなことはどうでもよさそうだ。
 韓国では、クロアチア日本戦を韓国人とソウル在住の人々が集まって一緒に応援する企画があった。そこで日本人の人々に韓国の応援文化について少し意見を聞いてみた。「留学に来て、こうやって韓国人の友人と一緒になってテ〜ハミングを叫ぶのは楽しい。しかし韓国代表が勝つことで韓国そのものが勝ったような錯覚に陥ることがある。2002年のワールドカップアメリカ戦でゴールを入れた韓国代表の選手がショートトラックのスケートの真似をしてパフォーマンスを行った。サッカーとなんら関係のないスポーツを出してアメリカをあざ笑うかのようなパフォーマンスはおかしい。」という意見だった。
 日本ではどうなのか、このブログでも紹介しているが「日本スポーツ・ジャーナリズム研究会」のコラムの中で、◇W杯で愛国心宣揚狙う?◇http://homepage2.nifty.com/FSJ/tushin/179.htmlという以下のような記事が載っていた。
『日本代表23人が決まって、マスメディアの日本代表応援報道に熱がこもっている。日本代表への期待を煽るばかりなのだが、5月16日には川淵三郎日本サッカー協会会長が先導して日本代表の中心選手が皇居に招かれ、天皇の激励を受けた。その足で官邸にも向かい、小泉首相の励ましも受けた。 まるで国家あげての日本代表応援と言わんばかりである。 五輪選手団の結団式に皇族や政府代表が参加して激励するのは常だが、大会前に天皇や首相が自ら選手を励ますシーンを演出するのは異例のことだ。 同じ日に、「国家の求める愛国心」教育をゴリ押しする教育基本法改悪案の実質審議がスタートするのと歩調を合わせた政治的イベントのにおいがした』

 この記事のように、せっかく様々な文化と歴史、政治的な背景を持った国々が国際的に開かれるスポーツイベントによってあつまり、国境を越えて世界的な視野を広げる機会であるにもかかわらず、その広い視点を失い、自国の素晴らしさを国民に伝え、愛国心をあおうようなメディアと自国主義的な応援が多いことは残念なことではないだろうか。

韓国の「反日ナショナリズム」を考える

 今回提示されたドキュメンタリーの主題は、日本と韓国における民族主義自国主義の争いによって、問題は解決どころか平行線をたどっており、悪化することでまた両国の民族主義の力を強める原因となっているという点を問題点としてあげている。
 私は日本で生活をして現在韓国の留学生活に至っている。その中で、日本自体のナショナリズム自国主義、去年の9・11総選挙で自民党の圧勝が証明しているような日本の右傾化の危険性は少し考えたことがある。明治維新によって排他的ナショナリズムを築かれて以来、戦後平和憲法という担保を他国に与えながら、結局的には戦後の責任と保障の放棄、そして日本社会を構成する内的差別構造と排他主義の要素を維持しながら支配層は継続的な力を持続させてきた。日本におけるナショナリズムは戦前の軍国主義国家を基盤においた国家ナショナリズムと戦後の平和憲法を基盤に置いた国家ナショナリズムは根本的な問題を未解決のまま今にいたっていることにこれから注目したいと考えている。
 では、韓国社会のナショナリズムを築く大きな要因となっている様々な要素の中から一つの例として「反日ナショナリズム」をあげるとするなら、そのナショナリズムを日本人である私はどう見なければならないのだろうか。このドキュメンタリー制作において主題を考える際に、国家と国家の対立ではなく、その無期限に続く争いを両国の民族主義とその社会の広がりを助長する媒体を批判することをしなければならない。そう考えた際「反日ナショナリズム」の実態を見逃すわけにはいかない。韓国におけるナショナリズム民族主義が日韓における問題解決ではなく、自国の支配層維持に利用されているという意見は、日本の基本的な意識であるし、それを利用して日本の民族主義を高めていく動きさえ見ることができる。韓国の民族主義を指摘する日本の左派と右派の結果的な動きは、妥協主義と自国民族主義とに分かれると考えられる。私はどちらかを選べと言われれば、間違いなく前者の意見を選ぶが、それでも現状維持かそれ以上は望めないのではないだろうか。去年の総選挙では、靖国問題、(独島)竹島問題で活発化した反日ナショナリズムを、批判しながらも、外交的問題に繋がるため近隣諸国の忠告は受け入れる必要があるという意見が、逆に自分たちは間違ったことをやっていないのに、他国の介入を許すことは侮辱だという人が増加する結果となってしまった。このように日本社会に内在する根本的な排他主義を改善する必要があるのではないか。
 「反日ナショナリズム」が韓国国内の支配層が利用する道具であるなら、なおさらその原因と機会を作り出している日本のナショナリズムをより考える必要があるのではないだろうか。韓国のナショナリズムについて、また植民地支配や朝鮮戦争ベトナム戦争などを経てどのような国家と国民が築かれ、維持されてきたのか、今後考えていきたい。

主題について

 ドキュメンタリー製作の会議が少しずつ本格化してきた。このブログはかなり自己中心的なブログなので、見ている人には流れを把握しにくいかもしれないが、ご勘弁を。ドキュメンタリーの主題と目的を考える上で、メンバーの中から持ち上がった提案をここで簡単に紹介する。ここでこれを紹介することは、もちろん自分の考え方や関心、そして社会に発信する意義や価値が一致したことを意味する。この主題に自分の特徴と主張、そして立場を加えながらより深い理論を築けるかがこれからの目標である。意図と視点について、韓国人のメンバーの提案を紹介する。

 日韓間における国家主義民族主義について批判的に見ていくことを基本的な姿勢とする。独島(竹島)問題、靖国問題従軍慰安婦問題、歴史教科書問題は、表面的には日本と韓国の国家間の対立として見えるが、実際はそうではなく、右派(民族主義者)と国際主義者、極端主義者と穏健主義者、原理主義者と妥協主義者、暴力主義者と平和主義者の対立であることを見せる。これらは対テロ戦争(ブッシュとテロリズムの争い)、過去における冷戦構造(東西、ベトナム戦争朝鮮戦争)でも説明可能である。同じように、日本と韓国でも熾烈な対立を繰り広げているように見えるが、実際にはその認識を枠を共有しながら留まることなく、非支配層を民族主義国家主義へと抱き込み、支配層がその勢力維持のために互いを助けあっている(利用し合っている)。
 内容的には、敵対的共存を維持し、敵対的依存を行っている二つの勢力のインタビューと論戦を中心に構成する。対象は、自国中心的な思考の史学界、民族主義的なポピュリズムを利用する商業的言論(メディア)、理念的な対立であるにも関わらず日韓問題においてだけは一致団結する左右政治人たち、などである。このような発言、政策、社会的形成がどのように両国の民族主義者を刺激し、右傾化を主導する極右派の立場を高め、広げているかを訴える。

 これが私たちが主題としてあげた大枠である。ここで注意しておいてほしいことは、この意見はより韓国国内の問題に重点が置かれているということだ。これを読んだ人は、恐らくどっちの国の話をしているのか混乱されたに違いない。なぜなら日本と韓国、両国家に同じ社会状況と支配的構造が存在するからである。雅にそこが私たちの意図するとこなのだが、ここに加え私が行わなければならないことは日本の国家主義民族主義、社会の右傾化などのケースをより詳しく調べること、そしてそれを理論化し批判を加えることである。この作業の必要性を少し話をすれば、両国家における、国家主義民族主義が発展・維持されてきた背景にはもちろん歴史的接点があるわけだが、立場が大きく異なる。日本は朝鮮を植民地支配し、朝鮮は日本に植民地支配された、加害と被害の関係が当然存在する。