『自分たちの歴史責任』誰が考えるの?

 今日は普段から気になってたことを書いてみようと思う。
 丁度去年のこの時期、韓国のノ・ムヒョン大統領が市民に日韓基本条約を一般公開したことを新聞で見て驚いた。そして今年、2005年は日本と韓国にとって波乱万丈な年になったのではないだろうか。何が波乱万丈だったのか。一つ目は、なんといっても「韓流」、二つ目は「竹島(独島)領土問題」、三つ目は「反日デモ」、4つ目は「靖国問題」などだ。またそんな時期に、日韓の学生交流「第21回日韓学生フォーラム」を行った意義についても再確認しなければならないだろう。私自身、今年は以前よりまして日本、韓国、中国の政府、メディア、そして自分のようにインターネットで考えを述べる人々の意見のぶつかり合いが、多いように感じた。これはいくつかの要因を考えることができるのではないだろうか。一つは今年に入ってノ・ムヒョン大統領が日本に対する歴史的責任を問う姿勢が強くなったこと。二つ目は、自らの意思を貫き行動する、相手にはっきりものを言う政治を目指した小泉(ひにくを込めてだが)が日本で大ヒットしたこと。三つ目は、市民を手中に納めた小泉政権がさらなる改革、税制改革、憲法改正などを実行していってることに対し、それに対抗する勢力が目立っていないこと、などが挙げられるのではないだろうか。
 そしてそれらを助長するようなメディアに大きな要因がある。それは「靖国神社参拝問題」を通して、メディアが中国・韓国VS日本という単純な構想をつくり上げてしまったことではないだろうか。問題が起きてからは、メディアは盛んに世論調査を行いその結果を示してきた。しかしその世論調査の結果、参拝反対派の各紙は、「近隣諸国からの批判が多いことを例に挙げ、靖国参拝は外交上の問題を考える上でも不利になるため見合わせるべきだ。」という見解を示した。これは一見正当な意見にも見えるのだが、国民に靖国神社参拝の是非を議論させない、弱腰の意見だったのではないだろうか。他国が反対するから神社参拝にはいかない…これでは誰が納得するだろうか。そしてこのような報道で、誰が靖国の本質を知り、その是非を議論することができるだろうか。保守的な新聞に対して発言する新聞が火傷を恐れて、当たり障りのない行動をとっているようではがゆい思いがした。日本のあちこちで「中国や韓国は、歴史教科書や靖国問題を日本に指摘する前に、自分たちの問題を考えろ」という声が上がっているが、そうなったのも誰も日本国内で靖国の是非を議論しようと持ちかけなかったことが問題だったのではないだろうか。
 もうすぐ終わる今年は、実は日韓友情年だった。それにふさわしい年になった…とはお世辞にもいえない状況が日本にはある。